【アントニオ小猪木】「小元気ですかーっ!?」「現金があればなんでもできる!」

芸人アントニオ小猪木

『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』で優勝を勝ち取る!!

最強のお笑いプロレス団体「西口プロレス」に所属する、アントニオ小猪木さん!

 

西口プロレスが立ち上がるまでの挫折や経験、そこから学んだ『成功の秘訣」など本音で語っていただきました。

 

安全第一・筋肉禁止・台本重視、から生み出される、笑いあり!涙あり!ポロリあり?の爆笑ライブを届ける西口プロレス!

 

闘宝伝笑2019 が、9月8日(日) 大阪の地、味園ユニバースで開催!
芸人アントニオ小猪木

 

大阪は遠くて行けない!?

それなら9月24日(火)に新宿FACEに行くべし!!
アントニオ小猪木さん_西口プロレス

 

アントニオ小猪木さん_西口プロレス

 

【オフィシャルブログ|小猪木なんの木 気になる日記】
https://ameblo.jp/koanton//

 

お笑いをやろうと思ったきっかけは?

アキュート
今現在芸人さんとして活躍されてると思うんですが、お笑いをやろうと思ったきっかけを教えていただいてよろしいですか。
アントニオ小猪木
まずは、就職活動が嫌で。。
アキュート
出たしから、激しいですね。
アントニオ小猪木
就職活動がなにせ嫌で、お笑いの世界のほうがいいなと思ってきました。
アキュート
多くの人は学生の時に高卒か大卒で就職活動始めるじゃないですか。就活自体が嫌だっていうのが最初のきっかけだった。
アントニオ小猪木
そうです。
僕の頃はバブルで、職が山ほどあったんです。どこでも入れるぐらいの時代で。にもかかわらず、全く敏感なアンテナは立たずだったんです。
アキュート
アンテナが立たなかったあと、その後どうされたんですか?
アントニオ小猪木
思い起こせば小学生の卒業文集に「テレビのスター」って書いてあるんです。

小学4年生の将来の夢には、「声優」っていうのも書いてまして。声優はやったことないんですけど、ある意味そういう方向性にはすでに、アンテナが立ってました。

アキュート
興味があったんですね。
アントニオ小猪木
あとは、幼稚園の時はバイクのレーサー。
アキュート
その頃からぶっ飛んでますね。(笑)
アントニオ小猪木
ただ「レーサー」って言葉がわからなくて、「オートバイの運転手になりたい」って、先生が書いてました。
アキュート
かわいいですね。
その頃から独自の価値観をお持ちでいらっしゃって、、大学の時に就職するの嫌だなと思われた。
アントニオ小猪木
大学じゃなくて高校でしたね。

いわゆる、かったるい高校生たちだったんです、みんなが。覇気がなくて、元気なくて、暑がりで寒がりで、やる気なくて。みんなその気怠くいることがカッコいいと思ってた年頃だったんです。

アキュート
ちょっとわかります。
アントニオ小猪木
こういうところに疑問があって。それで行っちゃおう、っていうかっていう感じでした。
アキュート
その後にフリーターとかをされたんですか?
アントニオ小猪木
もちろんです。
アキュート
フリーターをされた時はどんなお仕事やってたんですか。
アントニオ小猪木
僕は、フットワーク軽そうで重いんです。

なので、アルバイトも高校生の夏休みに友だちに誘われて行って、僕はそこに3年半か4年ぐらい通ってまして、お世話になりました。流される時は流されるって感じですかね。

アキュート
3年されたアルバイトというのは?
アントニオ小猪木
引っ越しのお仕事ですね。
アキュート
まだその時は芸人さんを目指されてはなかったんですか?
アントニオ小猪木
芸人はもうやってましたね。

でも再三再四「就職しろ」「就職しろ」って。「そんなに昼間来れるんだったらなんで就職しないんだ?」と言われて、そん時は芸人をやってるんだ、っていう理由は言ってなかったんです。

それで、その頃できた仲間の家に泊まりに行ったりとかして、朝方渋谷でポツンとしてたら、自衛隊員にスカウトされて(笑
「ご飯もごちそうしてあげるよ」って言われて、時間があるから行くわけです。それで体力測定とかさせられて。

アキュート
自衛隊の体力測定を経験したこともあるんですね。
アントニオ小猪木
それで「来ないか」ってすごい誘われまして。「僕にはやりたい夢がある」と、それを断りました。
アキュート
やっぱり芸人さんという夢だったんですね。
アントニオ小猪木
僕はその当時、喜劇役者、コントをやりたくて。

それでちゃんとやるんだったら、お芝居を勉強したほうがいいのかな、という方向で行ったんです。それで、その後に欽ちゃん劇団に行きまして、それも辞めてから、芸人仲間とつるむようになりました。

その時は仲間たちで単独ライブばかりやってました。その後に芸人仲間とつるんでから、お笑いライブとか出るようになって。大体、月に2日に1回ペースでお笑いをやってた頃もありました。

アキュート
月に15回ライブをやられてたんですか!?多いですね!

そういうライブ生活をされながらずっと引っ越しのアルバイトをしてたんですか?

アントニオ小猪木
こういうことやってるから、やれ舞台とか稽古とか入るんで、「今度休ませてください」っていうのが多くて、「もう来なくていいよ」みたいなこともありました。

考えてみたら、コンビニエンスストア、レストラン、喫茶店、中華料理店、配送、お弁当宅配、新聞配達などなど、色んなのやりました。

 

アントニオ猪木さんのモノマネをやろうと思ったきっかけ

アキュート
そういった経験があって今、ご活躍されてると思うんですが、アントニオ小猪木さんがモノマネをやろうと思ったきっかけっていうのは、どんな経緯があったんですか?
アントニオ小猪木
コントグループ結成してたんですけど、そこで解散しちゃったんです。

これが28歳、29歳。当時、30歳オーバーの売れてない芸人は本当にアウトな時代で。

アキュート
昔はそうだったんですか!?

今でこそそんなことないですけどね。

アントニオ小猪木
今はないですけど、お笑いライブで一緒になってた仲間たちがボンボンテレビに出てくるわけじゃないですか。

それで、僕はもう解散しちゃってるから、そこにはもう行けないじゃないですか。なので、半ば夢諦めかけたんです、正直。

その中で、うちのグループの仲間の1人が「西口プロレス立ち上げるから、猪木やってよ」って言われたんです。

アキュート
おお!そこで猪木さんの名前が、初めて出てくるんですね。
アントニオ小猪木
コントの中では、アントニオ猪木モノマネは入れてたので。

それを知ってて彼が「猪木やってよ」。

アキュート
もともと猪木さんのことが大好きで、、、
アントニオ小猪木
もちろんです!

親にも「プロレスはいい加減にしろ!」って言われたぐらい(笑

アキュート
プロレス全盛期の頃ですもんね。

仲間の一言がきっかけで、猪木さんのモノマネを始められたんですね。

アントニオ小猪木
でも、そこで僕はすぐに「イエス」って言えなかったんです。
アキュート
それはなぜですか?
アントニオ小猪木
解散したにもかかわらず、また解散した仲間とやんなくちゃいけないんだ・・・。

ここにちょっとわだかまりができまして、旗揚げ戦は僕は断りました。

アキュート
旗揚げ戦は断られて、またそこから参加して復活する理由っていうのはどんな経緯があったんですか?
アントニオ小猪木
過去にも、芸人を辞めてくやつがいっぱい居たわけです。

例えば、親を継がなくちゃいけない、就職が決まっちゃった、大学卒業して、ただの芸人目指すんじゃ食ってけないから、親の反対があったからとか。

アキュート
よくありますよね。
アントニオ小猪木
色んな理由で辞めてくわけです。なった後も仲違いもあるし、挫折もあるし。

そういう仲間たちも見てるなかで、自分もその1人になってるわけじゃないですか。だけど、苦楽を共にした仲間でもあり、友だちでもあり、その彼は、再三再四に渡って誘ってくるわけです。「手伝いでもいいから来てくれて」と。

とりあえず1回行ってみんなの元気な姿を見た時に、「これだったらやってけるかな」っていう自信になりまして。。それで「わかった、やらしてもらう!」って、仲間に入れてもらいました。

アキュート
仲間の一言がなかったら、芸人辞めてた可能性もあるんですね。
アントニオ小猪木
そうですね。可能性はあります。
アキュート
人のご縁ですね。
アントニオ小猪木
縁と、運です。っていうのをすごく感じました。

過去に挫折した時なんかも、そんな時に限ってオーディションに受かったりとか、仕事が舞い込んできたりとかがありまして。だから、不思議と挫折の瞬間っていうのは、チャンスのきっかけなのかなって言う。

アキュート
僕の友達も芸人を辞めちゃった人もいっぱい見てきたので、それはアントニオ小猪木さんが、「頑張れよ」って言われてるようにしか思えないです。

夢叶わなかった人もいっぱい居るわけなので、そういう時に限ってオーディションに受かるとかっていうのは、なるべくしてなった方なのかなと思います。

アントニオ小猪木
「事務所に入らないか」ってお誘いを受けたり、オーディションですね。

その頃は、コントでみんなとぶつかりあってケンカばっかりして、それでやる気がなくなって、内心「なんでこんな信頼ないやつらとお笑いって言っときながら、人を笑かせて、心は笑かせる気持ちも全くないのに舞台やってんだろう」とか、そんなことばっか考え始めちゃって。

これお笑いでもなんでもないよな、とか本当に悶々としてて、そんな中でオーディションに受かっちゃって、僕の知らない方々が笑ってくれたり、良くしてくれたりする中で、「生きる世界ってここだけじゃないんだな」っていうの学びました。

それで他のとこに行けば自分もまた生きるかもしんないとか、そういうことを学ばしてもらいました。

アキュート
なるほどですね。
アントニオ小猪木
例えば、後輩とかでも「もう僕辞めるんです」と言われたときは一旦は止めます。「お前おもしろいんだからやりゃあいいじゃないか」と。それでも「でも、もう決めたんで」とか色々あるんだったら、それはもう芸人の答えじゃないから、全然いいことなんです。

例えば「事務所辞めます僕は。お世話になりました」っていう後輩たちも、うちの事務所が答えじゃないから、もしかしたらよそ行ったら花が咲くかもわからないですから、僕は答えは1つじゃない!っていう考えになってます。

 

芸人をしていて大変だったこと

アキュート
ありがとうございます。
チラッと「挫折がいっぱいあった」とおっしゃってたんですけど、芸人をしていて一番大変だったことをお聞きしてもいいですか。
アントニオ小猪木
振り返ると20代の時って、売れるために頑張ってたはずなのに、売れるための方向に行ってないでがむしゃらに不必要な稽古ばっかしてたんです。

その頃、大変とは思ってなかったですけど、無駄な努力ばっかりしてたな、っていう感じですかね。

アキュート
振り返った時に自分なりには頑張ってるつもりでも、方向が間違ってるって良くありますよね。

僕自身もそうでした。

アントニオ小猪木
でも、それがあったから今があんのかなとか。その不必要な努力が後に西口プロレスで生きてきたわけです。

あとは僕の同級生にプロボウラーになった同級生がいまして、久しぶりにその彼と会ったんです。

「なんでこのお仕事をやってるんですか?大変でしょ。」って聞かれたんだけど、「好きでやってるから」って率直に素直に言葉が出たんです。
そしたらその同級生が「僕と一緒だ」って言ってきたんです。きっと彼も同じ世代ですから、揺れ動いたと思うんです。今からプロで食ってけんのかなとか。

アキュート
絶対迷いますよね。
アントニオ小猪木
でもやっぱり好きだからっていうので「僕と一緒だね」って言ってきたんです。僕んなかでは彼の一言が1つ良い思い出になってます。

もう1人の同級生がいて、去年かな、一昨年かな、ガンで亡くなられまして。そんな彼とガンが見つかる前に遊んだんです。

その彼が「ブログ見てるぞ」と。「お前いいよな、楽しそうで。あんなかわいい女の子とばっか写ったり、有名人とも写真撮ったりとか、楽しそうだよな」って言ってきたんです。

でも実際は、芸人っつっても今はバイトしてないですけども、優雅な生活を送ってるかっていうとそうでもないですから。

アキュート
芸人さんからしたら憧れのポジションだと思います。
アントニオ小猪木
その彼に僕が「お前は家もあるし、車もあるし、家族も居るじゃん。子供も2人も居るし、お前は安定した人生を歩んでんじゃん」と。やっぱり、お金が充実してるじゃないですか。

彼も「つったって借金だぞ、全部」って言うんですけど、僕は借金はないにせよ、着陸するかしないかの低空な飛行なんですよ。

アキュート
そんなことはないと思いますけど(笑
アントニオ小猪木
って言うのを見て、「こんな俺でも羨ましいと思うんだ」って。でも僕自身、その彼が良い大学にも行って、安定した良い仕事に就職もしていて、、
アキュート
王道ですね。
アントニオ小猪木
本当に良い人生を歩んでる彼だったので、「こいつ良いよな」と思ってる部分があったんです。

人を羨ましいと思ってる時に、自分も羨ましいと思われてんだ、って。

アキュート
面白い話ですよね。
アントニオ小猪木
例えば、僕よりも漫才が上手い人とかいるじゃないですか。傑作に面白いとか。そんな人でも、僕に勝てない部分は必ずあるというのを信じています。

それがアントニオ猪木モノマネだったのです。

 

芸人をしていて嬉しかったこと

アキュート
芸人をしていて一番良かったこと、嬉しかったことっていうのを教えていただけますか?
アントニオ小猪木
自分が輝ける!
アキュート
かっこいいですね。
輝いてるというのは、それはやっぱり舞台の上とかで「ワーッ」てやってる時ですか。
アントニオ小猪木
ワーッて言われるのももちろんあれですけど。自分が自信を持って人に会える。

例えば自信のない時とかって、人にも会いたくないし、「今、何やってるんですか?」って言われた時とか、「お前、この前もその話してたじゃん。あれからこの間まで変わってねえぞ」みたいなの見破られるのも嫌だし、

アキュート
そういう時、ありますよね(笑

今は輝いてらっしゃると思うんですけど、芸人を辞めようと思った時っていうのは、他にはどんな時ですか?

アントニオ小猪木
まず、失恋です。19歳ぐらいに失恋したことがショックで、全てのやる気がなくなりました。
アキュート
まっすぐ、純粋ですね。
アントニオ小猪木
その時は実家から通ってて。「行ってきます」って出てくんですけど行く気がないからどこかにフラフラ行っちゃうわけです。

それでなんとなく、自分が昔の住んでた町とかに行っちゃうわけ。それで、あるデパートに入ってエスカレーターに乗っている時に映った自分の顔が、ありえないぐらい自分じゃない顔してたんです。

アキュート
落ち込んでたんですね。
アントニオ小猪木
「なんだこの自分の顔は!」と思って、俺何やってんだって目覚めて、急いで稽古場に行って、終わり際だったんですけどみんなに会いに行って、「何しに来た、もう終わりだよ」みたいな、笑われたんですけども。
アキュート
良い話ですね。
行くことに価値がありますよね。
アントニオ小猪木
「間に合わなくて」なんてごまかしてましたけど。

あの時、デパートの鏡に会わなかったら、もしかしたら復活してないかもしれないんですね。

アキュート
ありがとうございます。
アントニオ小猪木
もう1個は何が答えかわかんなくなって、仲間とケンカして、人を笑かせようって心がなくなった時ですかね。これが2回目ですね。

その後オーディションに合格したことが、自分をつないでくれて、3回目は解散です。30歳前の当時、彼女もいて結婚も考えたんだけど、向こうにその気がなくて別れたんです。

そんな中「、猪木やってよ」って誘われて、30日間バイトして、その中の1日がアントニオ猪木のモノマネで輝けるんだったら、その人生でもいいじゃないかって。

本当だったら就職して普通に働いて、みたいな。でも就職して社会に貢献できる人たちは、僕以外にも山ほどいるじゃないですか。

僕はもしかしたら貢献できない、日の目を見ないような人生、将来は風呂なしで、トイレもなくて、四畳半に裸電球で、カップラーメンすすりながら死んで行くみたいな。っていう人生なっちゃうかもしんないけど、月に1回、大好きなアントニオ猪木になり切れるんだぜって思った時に、そっちでいいじゃん、って。

アキュート
かっこいいですね。
アントニオ小猪木
たった月に1回だけでも、アントニオ猪木モノマネでスポットライトを浴びられるんだったら俺はもうそれでいい、売れなくていい、食っていけなくていい、と思ったんです。それで西口プロレスを選択しました。

そんな中で仲間が声かけてきたんです。「お前さ、猪木やらないの。俺長州やろうと思ってんだけどさ」

アキュート
長州小力さんですか?
アントニオ小猪木
はい。「一緒にやろうぜ」って。それで、小力小猪木が生まれました。
アキュート
それがきっかけだったんですか。
アントニオ小猪木
西口プロレスもまだ当時はリングがなくて、舞台の上で布団敷いてやってたんです。見えないロープに飛ばして、なぜか返ってくるっていう。
アキュート
今からだと全く想像つかないですね。
アントニオ小猪木
それを1年やってて。1周年の時に「リングでやりたいよな。でもリングってどう手配したらいいんだ?」それでプロレス関係の方に聞いたら、レンタルでリングがあると。
アキュート
レンタルがあるんですか?
アントニオ小猪木
レンタルっていうか、リングを借りられるんです。そこに連絡すればリングを作ってくれるんで「よし、行こう!」ってなったんです。

その時に、今でいうGyaoですね。その人たちがたまたま見ていて「これ、うちらでぜひ中継さしてくれ」となりまして、ただ、「僕らリングがないんで、舞台でやってるんです」と。そしたら「それは困るから、スポンサー料じゃないですけど資金を渡すからこれでリングも借りてやってくれ」ということで中継が始まりました。

アキュート
おおっ!良い流れですね!
アントニオ小猪木
だからっていって、僕らの入ったお陰で視聴率も、グワーって視聴率が上がったわけでもなく、僕らも集客がものすごい上がったわけでもなかったですね。

その1年は充実したんですけど、契約が終わって中継も全くなかった後に、3年目のジンクスというか今度は客層が減ってきたんです。

そこで、今後これからやってくかどうかっていうところまで話し合って、「辞める必要ないんじゃない」と僕が言ったんです。要は辞めたら終わりだけど、いいじゃんほそぼそやれば、って思ったんです。

それを乗り越えてから、まず西口プロレスのメンバーのハチミツ二郎がM-1ファイナリストになり、小力がR-1ファイナリストになり、その年に僕が『とんねるずのみなさんのおかげでした』の、『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』で優勝さしてもらい、そこから西口プロレスがバッと知名度が一気に上がりまして、僕もここからバイトをしない生活になりました。

アキュート
そこからだったんですね。
アントニオ小猪木
33歳の時だったんで、18歳から芸人を始めて15年ですね。バイト生活からやっと脱出できました。
アキュート
いい話ですね。

 

アントニオ小猪木さんが考える『成功の秘訣』

アキュート
色んなご経験があるなかで、今みたいにアルバイトをせずに芸だけで食べれるようになった、『成功の秘訣』をお伺いできますか?
アントニオ小猪木
お笑い芸人の中でも僕は異例っていうか異質でして。

始めた頃はマルチタレントっていう、司会やって、歌やって、お芝居やってみたいな、なんでもできるポジションになりたいと思っていくわけです。

けれど、ハッタリというものは1枚ずつ剥がされていくわけです。自分よりも上には上がいて、自分が描いてきたレールっていうか、青写真が全部通用しないわけです。そんな中で核として残ったものが子供の頃から好きだったプロレスだったんです。

アキュート
そこにつながるんですか。
アントニオ小猪木
小学生の時にはロッカーをトップロープにしたりずっとプロレスごっこをやってまして。それが、お笑いプロレスやるっちゅうので、小学生の時からやってたものが、まさかここの自分の仕事につながるとは。

点と点が線に。

アキュート
不思議な話ですね。
アントニオ小猪木
僕、小学校とか、中学校、高校でたまに講演をやらさしてもらうんですよ。「就職活動について、進路指導の講演をやっていただけませんか」という依頼を受けまして。

ぶっちゃけ僕は、受験は高校の1回だけ。大学受験0、就職活動0ですよ。それでもいいんですか?と、聞いたら「そのままのお話をしてください」と言うので、僕は学校に講演に行きました。

「良い大学行って、良い就職してっていう人たちは山ほどいるから、そういう人の話に耳を傾けられる人は、その人たちの話をちゃんと聞いてください。ただ今回小猪木は、そういう話に耳を傾けられなかった人にお話をします」と。

「学校っていうのは何をするとこですか? 勉強するとこだね。授業と授業の間に何がありますか? 休み時間があります。休み時間、授業が終わった後の放課後、この間に僕、小猪木は全部プロレスごっこをやってました」

アキュート
説得力ありますね。
アントニオ小猪木
先生に怒られようと、女子に迷惑がられようと、クラスの仲間集めてプロレスごっこで取っ組み合ってました。
アキュート
結構激しいですね。
アントニオ小猪木
家に帰っても兄弟で立ち会ったりしていたことが、今の就職、職業につながった。ということは、学校は勉強だけがするところじゃなくて、才能も見つけるとこでもあると。

だから「あんたギターいい加減にしなさい!」とか、「漫画ばっか書いてないで!」とか親に怒られていたことが、もしかしたらそこに将来につながる何かがあるかもしれませんよと。

ただ、やるからには中途半端にやってても、上には上がいるから、そこで自分をどう出すか、個性をどう出すか、っていうところを教えてます、いつも。

アキュート
めっちゃいい話ですね!

すでにご成功されていて、これから先、将来の展望だったり目標っていうのは何かありますか?

アントニオ小猪木
年齢的にもプロレスは引退があるじゃないですか。年齢も劣化してって年もとって、自分もいつまでやれんだろう、っていうのは本当にずっと前から考えてまして・・・。考えてるんですけど、じゃあコントに引退ってあるのか、ってなったらないわけです。
アキュート
確かにコントに引退はないですね。
アントニオ小猪木
お笑いプロレスは、プロレスなのかコントなのかで言うと両方じゃないですか。

だから、お笑い芸人としてコントと思えば引退はないわけですから、可能な限り続ければいいし。あと芸人ですから、色んなことがやれる、ということでいいんじゃないかなと。

 

芸人を目指している人へ一言

アキュート
今現在、芸人を目指してる若い子たちに一言、お願いします。
アントニオ小猪木
この間、氏神一番さんが若手の芸人のみならず、ミュージシャンからダンサーといったパフォーマーが出るイベントに呼ばれて行ったんですけども、正直まだまだなんです。

キャリアも浅い子たちだったから、与えられた尺の中でのパフォーマンスがフワフワしてて、何がしたいんだろうってのがすごい多かったんです。
さっき言ってた勉強できる人はほっといても勉強してくれるし、どんどん極めていくし、ほっといても漫才の勉強をしてトコトン極めて、テレビの世界に行くじゃないですか。

でも行けない人たち。彼らはそれこそ自分に合った武器をつけて、売れるかじゃないですかね。例えば芸を見せた時に、世界や雰囲気、そこのこだわりを見せなくちゃいけない。自分の信念とか、心の部分とか、自分のネタの中の核をちゃんと伝えていけばいいんじゃないでしょうか。

アキュート
ありがとうございます!
アントニオ小猪木
あとは、「どうしよう俺、ああいう芸人になりたいな、テレビの世界に行きたいな」と思っていても何もしないで、ボンヤリしてる人もいるじゃないですか。
アキュート
いますね。
アントニオ小猪木
「特に才能もねえしな。俺、やれる自信もねえし」って、思っているよりもやることに意義がありますから!

荒波に揉まれて、自分を試せば自分の才能と限界を知るわけですから。また次の世界に行った時に、挫折した自分と限界の自分を知ることによって、その仕事に向かえるじゃないですか。

なので、それこそ猪木さんが言うように、「迷わず行けよ、行けばわかるさ」という言葉が一番かなと思ってます。

 

芸人の夢が叶わなかった人へ

アキュート
残念ながら芸人の夢が叶わず、諦めてしまった芸人さんもいるわけです。そういった方に向けて一言、お願いします。
アントニオ小猪木
諦めた人は、諦めていいと思います。って言うのは「答えは1つじゃない」ので。100万通り、何千万、何億何兆、わかんないですけど。

まして昔は「芸能界なんてそんな甘いもんじゃないぞ!」って親から大反対され、「中途半端だったら辞めちまえ!」っていう時代でしたけど、今は二足、三足、四足のわらじでも生きれる人生ですし。

なので、広く浅く生きるのも人生。1個のことを深く極めるのもOK。恋愛と一緒じゃないですかね。頑張りも大事ですけど、諦めも肝心。

アキュート
人事を尽くして天命を待つ、じゃないですけど、頑張るだけ頑張って諦めることも肝心ですね。
アントニオ小猪木
頑張ることがあるから、諦めも肝心なんです。

 

夢がない、夢が見つからないと言う人へ

アキュート
小猪木さんがなんて言うか興味深い質問なんですが、最近の小学生とか夢自体がそもそもない、見つからないという若い子もいるんです。こういう人に向けて一言、お願いします。
アントニオ小猪木
僕も夢がない人生だったので。やりたいことないんだったら、「自分が生まれてきたからには何か社会の役立って死んでけよ」なんてもし自分が言われたら、じゃあ俺なんなんだ、世の中に何を残せばいいんだ!?って。

考えた時にザルと一緒ですよね。「ITやってみたけどダメだった、道路工事現場も体力ねえしな」みたいな。色んなことをやっていった時に出てくるものが何かですよね。

「俺ゲームしかできねえ」って言うんだったら「じゃあゲーム作っちまおうかな」とか思ったらいい。「じゃあゲームの世界ってどうやってできてんだろう」って思ったら、「すいません、ゲームってどうやって作るか知りたいがために、ここに就職に来ました」でもいいと思うんです。

全く興味がない人よりは絶対に興味があると思うんで。僕はゲームに興味ないんで(笑

アキュート
なるほどですね。
アントニオ小猪木
社会のボランティア、生きてるって生命ってなんだろう、ご先祖ってなんだろうって思った時に、自分がいるから親がいて、親がいるからおばあちゃんとかおじいちゃんとか、ひいおばあちゃんとかずーっといるってことは、年上の人って大事にしなくちゃいけねえなあって思って、老人ホームとかでもいいと思うんです。

金儲けだけじゃないと思うんです。自分がいかに輝けるか、だと思います。

アキュート
猪木さんが言うように、「迷わず行けよ、行けばわかるさ」という言葉の通り、経験することで自分に合った武器だったり、その夢が自分の答えかどうかが分かってくる。

自分の中の核をもって、中途半端ではなく全力で取り組むことですね。

本日はありがとうございました!

 

9月8日(日)西口プロレスでアントニオ小猪木さんに会いに行こう!

芸人アントニオ小猪木

 

9月24日(火)連休明け初日は西口プロレス!!!

アントニオ小猪木さん_西口プロレス

 

アントニオ小猪木さん_西口プロレス

 

芸人アントニオ小猪木